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2013年3月30日土曜日

Da Nang

宿の窓から
ダナンに来た理由はただ一つ。今の時期に波が無いらしいベトナムでも、比較的なんとかなりそうだと知ったから。
そんなこんなでベトナム。この国に来るにあたって、ラオスあたりで多く耳にしたのが、相当rip off(ぼったくり的意味)が多いという事。と、ガードを高めにしていたものの、第一接触者である宿の人達は超が付くほど親切な人ばかり・・。そして宿の傍の、看板3姉妹+ご両親が切り盛りしている屋台風な食堂も、言葉はあまり通じずとも本当に良くしてくれる(3姉妹+ご両親という構成のお店は、良い店ばかりだ)。













ベトナムのベジタリアン情報は人づてに得られなかったので、Happy Cowで周辺検索。その名前にピンと来たKarma Watersというビーガンレストランにランチを食べに行ってみたら、ニュージーランド人オーナーのポールと意気投合し、食や環境、アジアの文化やスピリチュアリティの話なんかに花が咲いて、教えてもらったサーフボード・レンタルのお店・Tam's Pubまで彼がバイクで送ってくれた。

Tam's Pubは通称China Beachの近く。今ではリゾート化しているけれど、映画『地獄の黙示録』で有名なサーフィンシーンは、ここが元ネタらしい(実際の撮影はフィリピン)。お店のオーナーのTamはめちゃめちゃ気さくな女性で、板を返した際に、彼女が少女時代に体験したベトナム戦争の話を色々と聞かせてくれた。そういう体験談は大好きなので耳を傾けていると、あっという間に2時間程が経過。内容は心温まるものから本当に悲惨なものまで様々で、それは映画では知り得ない現実・・・。
その後Tamは僕をバイクに乗せ、20分程離れた街外れにある宿までわざわざ送ってくれて、2夜連続で立ち寄った3姉妹のお店では、地元の2人組がしこたまビールを振る舞ってくれた。おまけに、お店からまかない料理までご馳走になって、ダナンの人々のご好意に甘えっぱなし・・。
Tamとお友達
2人組+奥に3姉妹














今日も朝からTamのところで板を借り、波の無い海でパドリングの練習をして、その後ポールのお店で数時間過ごし、彼のベトナム人の奥さんと天使のような二人のお嬢ちゃんとも出会った。そして、ポールはクジラを祀っているという小さなお寺に、僕を連れて行ってくれた。

会う人みんな、良い人ばかり。
・・・ダナン、めっちゃ好き。

Paul

2013年3月27日水曜日

Destination 13: Vietnam

グッバイ、ラオス
無事に乗客全員がラオスの出国スタンプを受領し、そのまま歩いてベトナム国境で入国手続きを行う。因みに乗客のうち外国人は僕と、仕事でベトナムに向かうというタイ人のおじさんだけで、後は貨物の関係者も含めて全員ベトナム人。

さて、ベトナム入国。実は1つ不安があった。
基本的に15日以内の滞在の場合、日本人はビザ不要(ここでも日本のパスポートが威力を発揮!)。
た・だ・し、15日以内にベトナムから出国する航空券の提示を求められる。
この“但し”の部分が曖昧で、航空券を持っていなくても、ノービザで入国出来る事が多いらしい。因みにスリランカ入国も似た様な条件で、実際には全く航空券を見せる事は無かった・・。
ダナン以降にどう動くかなんて考えてないし、先に日程を決めて航空券を買うのはちょっとなぁ・・、止められたら出来る限りゴネちゃえばいいか、最悪ラオスにもう数日いることになるかもしれないけど・・。
と、航空券など持たずにやってきた僕。ポーカーフェイスで監査官にパスポートを渡す。・・・、特に何も言われない。パスポートをスキャンする監査官。そしてスタンプに手を伸ばし・・・。あっさり入国許可!因みに、他の人々はパスポートに手数料(?)の10,000ドンを挟んでいたけど、僕はそれすらしていない・・。全くの無料。ベトナム入国検査は適当だった。。。

ハロー、ベトナム
3列目以降は貨物のみ。。
同乗者全員が入国許可を得て、通関を終えたバスに乗り込む。バスは相変わらず息苦しく、貨物が満載の車内に長くいると、自分も貨物の一部のように思えてくる。。
貨物の関係者は、作業員風のコワモテでやたら声が大きく、車内でタバコを吸いまくるし、英語は通じないし、こちらからはあまり接触したくない雰囲気だった。
それもバスが出発して半日が過ぎる頃には、心理的距離も徐々に縮まり、共に昼食のフォーを食べる頃には笑顔を交わしていた。
貨物関係者の方々
かくして約19時間の埃っぽくて男臭いバス旅を経て、ダナンに到着。貨物関係者の頭領風の人がこの街出身らしく、機嫌良く“安くて良い宿紹介するでぇ”と。。一体どんなところかと思っていたら、これがホントに安くて良い宿。窓からは海が一望出来るし、宿の人々もみんな良い人ばかり!

あぁ、流石に今回の移動はタフだった・・。この経験は、1度で沢山だ。。。
疲れた身体がクレームを起こす前に、ゆっくり休めてあげよう。そして美味いものを沢山注入しよう!
宿の前

月光

全くハイクラスでは無い・・。
Shavannakhetのバスターミナルで、隣国ベトナム・ダナン行きのバスに乗ったのは21:30。バスに乗って先ず驚いたのが、車内の後ろ2/3程が貨物で埋まっていて、残された乗客用のイスも何だか薄汚い・・。ローカルバスなので色々あるとは思っていたけど、何故に貨物・・?出発予定時刻より30分早くバスは出発し(ええんか?)、闇夜の中を国境へ向かう。

ウトウトしかけた頃にバスが停まり、乗客のうちの数名が降りて行ったので、何かな?と思っていたら、バス底部のコンパートメントに貨物を積み込んでいる様子・・。その後、僕を含めて車内に残っていた全員が外に出され、代わりに土嚢のような袋に入った炭木らしきものが車内に運ばれる・・。どうやら、乗客人数ギリギリの座席だけ残して、後は貨物で満載にするらしい・・。やや呆れ気味にその光景を見ていたら、他の乗客が、“この路線は客が少ないから、貨物を積んで料金を稼いでいる”、と教えてくれた。
ここでパスポートを預ける。。
積載を終えた車内は、薄暗い照明のせいでよく見えないながらも、埃が舞い、座席がザラザラしているのは分かる・・。換気して欲しいところだけど窓は開かず、吐息のようなエアコンは何の役にもたたない。不快指数は相当高め・・。でも不満があろうと、このバスに乗って行くしかない。。汚れなど気にせず席に付き、とりあえず寝てしまおうと努力した。。。

ラオス側の国境に着いたのは3:30。が、出国手続きは7:00から。。出発時間、計算しとこうよ・・。バスから降りる乗客の行動に付いて行くと、どうも国境近くの商店(食堂?)が、バスを用いた団体での出国手続きを牛耳っているようで、その店主に乗客全員のパスポートと少しの手数料を渡して、後は7:00まで仮眠・・。
外はほぼ満月で、その光がやたら眩しかった・・。



2013年3月26日火曜日

Travelin' Bus 2

ラオスのローカルバスは、平和そのもの。満席ながら、人々は静かで行儀が良い。今までに乗ったエクスプレス・バスと違い、やや座席が狭くてエアコンも無いけれど、インドに比べれば・・・。先にインドに行っといて良かったw
ファンキーな外装
シックな内装
Phonsavanhを出発し、Parksanを経てSavannakhetに着く頃には、計16時間が経過していた。Savannakhetは、たしかラオスで第二の都市。バスターミナル近くのゲストハウスにチェックインする頃には0:00近くになっていて、とっとと就寝して長旅の疲れを癒す。

映画館:営業中?
起きて散歩した中心地(?)界隈には、食堂やカフェ、教会やお寺なんかがあって、小さくて長閑な街並が広がっていた。『第二の都市』から連想する喧噪は無く、本当にのんびりしている。
食堂で出会った旅行者と会話し、幾つかのお寺を参って、上流とは雰囲気の違うメコン川を望むころには、熱中症になるかと思うくらいに暑かったので、屋台でココナッツ。。そんな1日だった。
そういえば、この国のココナッツは、今まででトップクラスに美味しい。きっとココナッツに良い土壌なんだろう。



淀川でも多摩川でもありません。。
さて、特に足止めが無ければ、今夜ラオスから離れようと思う。また長〜いバス旅だ。
この国には都会的なアトラクションがあるわけでは無いけれど、その代わりにゆっくり流れる時間を感じ、どの街でも優しい笑顔の人々に出会う事が出来る。そして、一番印象に残っているのは、お年寄りから子供までが同じ空間を共有している光景。家族みんなで店を切り盛りしたり、赤ちゃんのお守りをしたり。。それはどこか懐かしくもあり、また感慨深くもあり・・。
以前から来てみたかったラオス。思っていた通りに、とても素敵な国だった。
ベストスマイル賞
ラオス・ウィスキーづくり50余年
70歳のおばあちゃん:)
Khob Chai, Laos!


Travelin' Bus 1

Phonsavanhのツアーデスクでバスを手配し、約6時間南に下ったParksanに向かう。Parksanに行く理由は、そこから南東向かいに国境を越えるバスに乗れると聞いたから。野を越え山越え、何度かの休憩を挟みつつ、ラオスの田舎の景色をバスは進む。



ランチタイム!
何を食べようかウロウロしていたら、
"あんたも食べなさい(予想)”と、
ラオス語で声を掛けてくれたオバちゃん達
分けてくれたお弁当。
餅米をつまんで丸めて、からし味噌にディップ!
うんま〜〜い!!
そうして辿り着いたParksan・・・・・・・・。想像と違う・・。
バスターミナルには旅行者待ちのトゥクトゥクが待ち構えていて、他の旅行者と相乗りしてゲストハウスのあるエリアまで移動して・・・、という今までのパターンとは違い、降り立ったのは、大きな道路沿いにポツンとあるバス停。そして降車したのは自分だけ・・。周辺には特に何もなく、見える範囲には小さな食堂とガソリンスタンドくらい・・・・、あ、奇麗なホテルがある!

とりあえず部屋料金と街情報、そして国境越えのバスについて確認してみようとフロントに向かう・・・、が、英語を話せる人が1人もいない模様・・・。マジで?ここホテルでしょ??・・・、どうやら本当に誰も英語を話さないらしい。。
そこで思った。。ホテルに英語話者が1人もいないという事は、この街はちょっとヤバいんじゃないか??通りに戻って再度歩き、見つけたゲストハウス、通行人、片っ端から人に声をかけるも、まともに英語は通じない。。そしてツーリスト・インフォメーションや旅行会社的なものも全く無い・・・。 ヤバい。。言葉が通じない辛さを一気に実感する。。宿はどうとでもなるとして、バスの手配が出来ないのはマズい・・。

焦燥感と共に暫く歩き、ダメもとで入った大型寝具店で、ついに英語が上手な女の子を発見!!そして彼女はこう言った・・。
“国境越えのバスはこの街を“通過”するけど、この街ではチケットは買えないわ。”
・・・・・・・・・。そんな事、ここまでのバスを手配してくれたPhonsavanhのツアーデスクで言ってなかったケド・・・!!!
やや固まった僕に彼女は、“更に南のSavannakhetに行けば、国境越えのバスに乗れると思う。”
!!もう、それしかない、そうしよう!で、Savannakhetに行くには、どうすれば?
“あそこのバス停に、1時間に1本くらい南行きのバスが来るから、それに乗ればいいわ。”
そうと分かれば、この街に留まる理由もない。
有り難う!とラオス語で、I love you!と英語で言い残しw、バス停で待つ事20分程。やって来たローカルバスは、正にSavannakhet行きのバスだった!

ラオス旅情。。

2013年3月25日月曜日

The Plain of Jars

*Jar=容器(炊飯“ジャー”のジャー)

ジャー
Phonsavanh一帯には、3000年前に造られたという大きな石のジャー群が散在しているそうで、群毎にサイト1、2、と区分けされている。僕は七不思議的なものが大好きなので、いくつかのサイトを巡るツアーに参加してみた。現地ガイド付きのミニ・バンでのツアーには、カナダ、オーストラリア、スイスからの参加者。全員あっという間に打ち解けて、和やかムードでのツアーとなった。


サイト1
実際に見たジャーは、削りだされた円柱の石に穴があいていて、人間がすっぽり入る位の大きさ。その用途は未だ謎で、死者を埋葬する棺、または酒を蒸留する容器、等の仮説が立てられているらしい。この石が採掘されたとされる場所は、手ぶらで歩いても8時間から2日半かかるところに点在していて、どうやってこの重いジャーを運んだのかも謎・・。象に運ばせた説、木を使って人間が運んだ説、等々。。

サイト2
サイト3
そしてこのジャー群を巡っていて同時に目に入るのが、アメリカの空爆による無数のクレーター。爆弾により破壊されたジャーも多く、また不発弾により、多数あるとされる未知のジャー群の調査が妨げられているそう・・。現在見れる郡も、整地されたトレイルの外は未だ不発弾が未撤去の区域で、全ての撤去作業が終わるのには、この先何十年かかるのか検討もつかないのが現状なのだとか・・。

爆撃によるクレーター
危険/安全の境界・・
Phonsavanhに来た事によって、ラオスの歴史についてより深く知ろうとするキッカケになった。そしてジャー群は、大いに知的好奇心をくすぐってくれた。
明日は更に海に向かって東へ、と思っていたら、明日は東行きのバスが無い。そして今更ながら、その東の海はめったに波が立たないらしい・・。なので、急遽南下することに決めた。これぞ、ノープランな旅の醍醐味w!!

2013年3月23日土曜日

thru the mountain pass

海に向かいたい、でもその前にもう少しラオスの街を見てみたい、という相談をLuang Prabangの宿でしたところ、Phonsavanhに行くと良いと言われた。なので言われた通りにバスのチケットを手配して、朝早くにバス停に向かった。
ここまでとは違い、エアコンの無い大型バスはほぼローカルオンリー。外国人は、僕とちょうど後ろに座っていたドイツ人のロルフのみ。ロルフは色々とPhonsavanh情報を持っていたので、どんな場所なのか聞きつつバスは出発。

約300kmを8時間以上かけるだけあって、道中はずーっと峠道。途中、何も無い所でバスが止まったと思ったら、それがトイレ休憩で、男は道ばたへ、女性はいそいそと茂みの中へ。。。いくつもの集落を過ぎ、昼食休憩を挟んだりしながら、ほぼ予定通りの時間にPhonsavanhに到着。
トイレ休憩・・


ランチ休憩
ロルフと共にPhonsavanhのメインストリートに向かうと、そこにはやたらと広い道路に、近代的な建物や宿が並んでいる。すごい田舎を想像していたので、なんというか、違和感。。まるでアメリカの田舎町のような雰囲気のまだ新しい街並は、実は悲しい歴史が創りだしたものだった。。
Phonsavanh メインストリート
悲しい歴史・・コレ何だかわかります?
この一帯は、インドシナ戦争の際に激戦地となり徹底爆撃を受けたそうで、対人口での爆弾投下量は、世界最多・・・。ラオスの国際化と共に、メインストリート付近のみがこの何十年で開発され、約95%の被爆撃地は放置されたままなのだそう。兵器や投下された爆弾の残骸が、メインストリート沿いの様々な建物にオブジェのように飾られていて、付近には、数えきれない不発弾が未だ埋まっている。。
・・・・・。
正直、昨日までPhonsavanhとう地名すら知らなかったうえに、ラオスの歴史は不勉強だったので、これらは全てロルフや宿の人に教わった知識・・。訪れる国の近代史くらいはもうちょっと学んでおかないとなぁ、と考えさせられた・・。

2013年3月22日金曜日

peaceful days

昨日はLuang Prabang近郊の名所を、Fabio(伊)、Jessica(蘭)と共に巡ってみた。メコン川沿いの機織りの村や、崖にある洞窟に祀られた仏像群、森の中にある自然公園、美しい滝、等々。滝の下流では、飛び込んだり泳いだりできる場所があって、久々に自然の中で水と戯れた。水って素敵やん。。
その他ジャングルトレッキングやラフティング、エレファント・ライド等、アジアらしいアトラクションが、Luang Prabangからの日帰りで色々と試せる様子。






ターザン・ジャンプ、楽しい!
チェンマイ以来行動を共にしてきた伊、蘭の二人は、今朝それぞれの行き先へ旅立ち、ここからはまた一人旅。なので、さっそくマイペースに散歩してみる。
ラオスの仏教で重要とされるこの街には、オレンジ色の装束を着たお坊さんや小僧さんがたくさんいる。仏教万歳!

そして中心部から少し歩けば、ローカルな雰囲気もまだまだ残っていて、地元の人に挨拶をすれば、みんな笑顔で返してくれる。そしてこの街にもいい感じの路地や、小さな雑貨店、駄菓子屋風のお店が多くあり、そこは小学生くらいの子供達の集合場所。その風景をほのぼの眺めていると、自分が幼かった頃がフラッシュバックする。
“自分が子供だった頃は・・”というノスタルジーを本気で感じる年齢になったんだなぁ・・・と自嘲しつつ、それは決してイヤな気分ではなかったりする。


Lao Kids
さて、僕も明日にはこの街を出て、ぼちぼち陸路で海がある所まで向かおうと思う。
海・・・、めっちゃ遠い。。。